いんぎりっしゅ〜Ingilish〜

三十路男アイデンティティー確立への黙示録

現役小学校教員が今すぐに働き方改革すべき業務内容 パート2

へろー、あーいむ、いんぎりっしゅ!!

 前回、タイトル通りの記事がご好評だったため、調子に乗って第二弾を執筆w

 

前回の記事はこちら↓

 

inspire30yearsold.hatenablog.com

 

今回も、小学校教員の裏側をご披露したいと思います。

 

完全に私の独断と偏見ですので、お気を悪くされたら申し訳ありませんm(._.)m先にお詫び申し上げます。

 

それでは参ります!

 

 

 

丸つけ(教科によりけり)

「お前、前回の記事で学習指導が本分って言ってたじゃねーか!」とか、「それがメインの業務でしょ?」とか思われる方が多いと思います。しかし、丸つけは本来的に教員の仕事ではないと思います。特に、日々の宿題を担任が行なっている様子をよく見ていましたが、それをやっている先生は本当に仕事が遅かった事を今でも鮮明に覚えています。

 

日々の宿題で、多く出されるのは国語の漢字と音読、算数の基礎基本となる計算問題やその時にやっている単元の文章題などが出される事が多いのではないでしょうか。

 

私は、前者、特に漢字の宿題に関しては丸つけの意味を感じます。理由は形状が違えば文字として成立しなくなるからです。

 

しかし、後者の宿題に関しては、答えが確実に一つになる事がほとんどなので児童に答えを提示して答え合わせを各自でしてもらう方が効率的だと言えます。該当しないのは、立式を解答として求められる時です。

 

最近小学校教員がよく叩かれている現象を敢えて例に出すと掛け算の問題が挙げられると思います。

ja.wikipedia.org

 

当時、私はこの問題を真剣に考えていました。だって、「ここに4まいのふくろがあります。かずや君が,1まいのふくろにりんごを3こずつ入れました。りんごは,ぜんぶでなんこありますか」という問題って確実に3個のかたまりが4つあるのだから…「4✖️3は間違い!」って自信を持って宿題の解答してたなぁ…。

 

この問題についてあーだこーだいうつもりはありませんが、これに関しては児童の思考の過程を問うしか手はないなと思っています。つまり、どうしてその式にしたのかを説明することでしか採点できないということです。

まぁ、それにはその説明をさせるだけの文章力が必要なので、教育上、児童の発達段階に無理をかけているのは言うまでもありませんがw

 

とにかく、丸つけは解答を見せればいいだけ。回収して、丸つけなんてやめようよ。

 

フィンランドでは宿題ないんだぞー!(ここは日本です。と、いうのはなしでお願いします。)

 

給食セット

これは学校によりけりなのでしょうが…ご家庭からハンカチみたいなものを持ってきて机の上に広げ、お箸と口ふきハンカチを用意する…うーん、無駄。

 

学校給食なのだから、食器からお盆までを用意してくれい!

「先生。忘れました。」

この一言がどれだけ我々を苦しめていることか…保護者の皆様も選択する物が減って楽になりますわ!

 

学校側でお盆(トレー)とお箸を用意したってやー!

 

 

夏休みの宿題

語弊がないように言っておきます。

夏休みは、学習すること自体消滅してしてしまうお子さんがいるので、基礎的な復習課題は必要だと思います。

 

私が言いたいのは、「夏休みの宿題」=「自由研究」ということです。

 

だって、夏休みの自由研究・図工ってほぼ100%保護者がやっているのだもんw

やってもいいけど、評価とか発表会とかしてるのあんまり意味ないからね?だって、学校の活動じゃないんだもん。

 

あとは、その自由研究に命を賭して取り組んでらっしゃる保護者の方々。いいですか?あなたの自由研究ではありませんよ?お子さんの自由研究です。やるなら、「発案者:父」とか「製作者;曽祖母」とか記載してください。堂々と参加していいんです。だって学校の活動じゃないんだもん。

 

自由研究自体は否定しません。逆に、保護者の方から(もはや子どもはやっていないという前提)学ぶ事がたくさんあって面白い。

 

展示ぐらいにして、評価も発表会もやめれば、時数確保できて他の活動できるよ?そして、なくす事によって割と大半の保護者の方には喜んでもらえるはずw

 

多すぎる参観日

これも保護者目線で考えると、すごく困るのではないかなと思いました。

専業主婦の方が多い地域はwelcomeでしょうが、共働きがオーソドックスなスタイルの現代日本においては、「余計」以外のなにものでもありません。

 

「ウチだけ来てない…」

 

子供はそう思うが、仕事は抜けられない。そうです。今こそ保護者のためにも、教員のためにも山間日を減らすべきなのです。

 

日頃の学習成果をご覧いただくのはいい事です。だけど、その参観日本当に要りますか?最近やったばかりではありませんか?前日に死ぬ気で掲示物の作成してませんか?普段やっていないような凝った授業準備していませんか?

 

練習でやっていないことは本番では発揮できませんよ。

 

子どもだってあんまり喜んでいませんよw

 

登校

これは賛否の否が多くなる覚悟で記載しますが、学校には来なくてもいい時代になっているのだと思います。

 

大人が在宅ワークだフリーランスだ言っている時代に、「学校に来い!」はないのではないでしょうか?

 

何かしら理由があって学校に来にくい場合は、無理に来なくていいんです。

 

学習が滞る?インターネットがあります。遠隔授業での参加だって可能です。インターネットがない?うーん、それはごめんなさい。なんとも言えないです。

 

友達ができない?学校行ってても、行ってなくてもできない時はできません。時がくればできます。今はその時ではないのだと思います。

 

学校はいつだって最先端の学習環境を提供してくれる場だったと思います。

 

ランドセルが文化だというのであればそれでいいです。しかし、タブレットがあれば学習環境が整う時代で紙の教科書を使って、pcが苦手な教師から学習指導を受けているのです。

何が変わるのでしょうか?プログラミング教育が浸透するのは一体何年、いや何十年先になるのでしょうね?

 

子どもを教える立場の教師が変わらなければ、教育は、日本の未来は何も変化しません。

 

まとめ of いんぎりっしゅ

いかがだったでしょうか?

丸つけに始まり登校するか否かまで、極端な意見だったのかもしれませんが、時代に即した教育活動をしていくべきなのは明白です。

古きを知り新しきを…なんて言いますが、まさしくその通り。

古い時代の亡霊たちに取り憑かれている現役教員の皆さん。今こそ立ち向かう時です。

 

let's 働き方改革